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野火

はたから見ればひどく美しい自然、そこに差し込まれる『異常な死』がトラウマ的な何かになって脳に刺さる。「絶望的に縮小された規模」でも「最大限に頑張ったもの」を  (戦争の痛みを伝えていかなければならない 塚本晋也監督が「野火」の映画化を急いだ理由 | 映画界のキーパーソンに直撃 - 東洋経済オンラインから ) という塚本監督の想いがひしひしと伝わってくる、気がした。

これだけで『何かを理解する』のは難しいだろうと思う。
子供の頃、戦争のアニメを見てそれが物凄く恐かった。大人になって、終戦記念日も普通に出勤して仕事していたりするうちにあの『物凄く恐かった感覚』は少しずつ薄れていく。薄れていってしまう、それは実は物凄く恐ろしいことなのではないか、と、思う。

その『戦争こわい。戦争いやだ。』という感情は、折に触れ自らに上書きしていかなくてはいけないのではないだろうか。こんな風に。

そして、それが、あの戦争はなんだったのか、今あそこにあるあの戦争はなんなのか、といった事を改めて知ろうとするきっかけになればいいと思う。これを見てみんながみんな反戦活動をしなきゃいけないとか官邸前でデモをしようとかそういうことではない。ただ、知ろうとする事、戦後70年のこの時に色々と発信されるであろう何か(既に「ひめゆり」を題材にした芝居等も上演されている)を見る事、が、何よりも今必要なのではないか。と、わたしは思う。

| | 21:13 | - | - |

end of


自ら名乗る名を無くしてしまった。


写真で喰ってはいないし、
音楽好きな工場労働者にもなりきれない。
他者との関係性において、相手の視線の先にわたしは像を結ぶ。



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だんだんぼくらは歳を取る
だいたいみんな居なくなる
ただまっすぐに前を見る
いつかの約束は逃げ水のようで
いつまでも追い付かない

三輪和美写真展「うせもの」



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あなたがわたしを「写真家」と名付けてくれるなら
わたしは写真家でいられます
2014年 わたしに与えられたすべての「名」に感謝を

ありがとうございました
またお目にかかれますように




 

| | 21:01 | - | - |

メンタル強いのか弱いのかよくわかんないね

わりかしキツい業種だけどわりかしハッピーに仕事してきたんたぜ、数ヶ月前までは。

胃痛から始まり気付けば体重は5kg減。角膜に傷が入り円形脱毛症が発覚した時に『あ、これヤバいかも』とは思ったけどさ。「根性があるから大丈夫」って、さ。そんな認識ですか。身体に出るにも出方が地味だからかなあ、血を吐いて倒れるくらいインパクトないとだめなのかなあ、でも職場でやると後処理が大変だし、かといって家には誰もいないからそのまま孤独死しそうだ、やっぱ却下。……とか茶化すような事考えてたら歯が割れた。うまく出来てるな。


わたしが消えても別に世界は変わらない。世界はとても残酷でとても優しい。そんな自分の不必要性と必要性の間で、なんとかうまいこと生きて生きて生きて死ぬ。その間にきみらと笑えたらいいなって思う。それだけでいいや。


会って笑って食べて体重は1kg戻ったよ。またね。いつかね。そんな淡い淡い約束をきみらと繰り返していけたらいいな。



ありがとう。またね。




| | 23:37 | - | - |

ふと思うこと。

そういえば、名刺を作らなくなってしまった。
休止の果て、「新天地」でまた写真を撮る、ことは出来る。こんな風に。
けれど。
なにも背負えなくなったわたしは、もう写真家を名乗らない。
復帰したように見えて、わたしは復帰できていないし、この先も復帰などできない。

だからどうだってこともない。

わたしはわたしで、生きている。
ただそれだけだけどね。




| | 18:22 | - | - |

せかいはひろがっていくのだ



久しぶりに撮ってみた
やっぱり変わったな
そんでもって今のが全然いい


今は生きたい場所がはっきりしているし
それは
この体の現状で出来る事・出来そうな事・やりたい事を見据えた上での「せかい」に在るってこと





 

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