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野火

はたから見ればひどく美しい自然、そこに差し込まれる『異常な死』がトラウマ的な何かになって脳に刺さる。「絶望的に縮小された規模」でも「最大限に頑張ったもの」を  (戦争の痛みを伝えていかなければならない 塚本晋也監督が「野火」の映画化を急いだ理由 | 映画界のキーパーソンに直撃 - 東洋経済オンラインから ) という塚本監督の想いがひしひしと伝わってくる、気がした。

これだけで『何かを理解する』のは難しいだろうと思う。
子供の頃、戦争のアニメを見てそれが物凄く恐かった。大人になって、終戦記念日も普通に出勤して仕事していたりするうちにあの『物凄く恐かった感覚』は少しずつ薄れていく。薄れていってしまう、それは実は物凄く恐ろしいことなのではないか、と、思う。

その『戦争こわい。戦争いやだ。』という感情は、折に触れ自らに上書きしていかなくてはいけないのではないだろうか。こんな風に。

そして、それが、あの戦争はなんだったのか、今あそこにあるあの戦争はなんなのか、といった事を改めて知ろうとするきっかけになればいいと思う。これを見てみんながみんな反戦活動をしなきゃいけないとか官邸前でデモをしようとかそういうことではない。ただ、知ろうとする事、戦後70年のこの時に色々と発信されるであろう何か(既に「ひめゆり」を題材にした芝居等も上演されている)を見る事、が、何よりも今必要なのではないか。と、わたしは思う。

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